9回目の受験。それでも、諦めなかった。
何度落ちても、次の年には必ず会場にいた――そんな選手がどれだけいるだろう。
上堂薗伽純(かみどうぞの・かすみ)選手、28歳。
彼女が2024年のJLPGAプロテストに合格したとき、同じ研修生仲間の誰もが涙したという。
なぜなら、その“9回目”には、10年近い葛藤と、家族・職場・スポンサーに支えられた努力の積み重ねが詰まっていたからだ。
僕は女子ゴルフを長年追ってきたけれど、
ここまで「努力の継続」が物語になる選手は、そう多くない。
彼女は決して天才肌ではない。だが、挑戦を続けるその姿勢が、確実に人を惹きつけている。
父に連れられて見た初めての試合。
ゴルフ場の研修生として働きながらプロテストに挑んだ日々。
そしてテレビ番組『ゴルフサバイバル』で見せた覚悟。
その一つひとつが、上堂薗伽純という選手の“芯”をつくってきた。
この記事では、そんな彼女を支えた家族、スポンサー、そして仲間たちの物語をたどりながら、
なぜ今、多くのファンが彼女に惹かれるのか――その理由を探っていく。
僕たち応援ライターの視点から見ても、彼女の存在は“努力が報われる希望の象徴”なんだよね。
読み終えた頃、あなたもきっと、彼女の笑顔に拍手を送りたくなるはずだ。
この記事を読むとわかること
- 上堂薗伽純選手が「9回目」でつかんだプロテスト合格の裏側
- 父と家族が支えた、研修生時代の努力と絆
- ゴルフサバイバルで見せた覚悟と成長
- スポンサーが語る“応援される人柄”の理由
父と家族、そして鹿児島の実家が育んだ“努力の原点”
鹿児島の青い空の下で育った上堂薗伽純(かみどうぞの・かすみ)選手。
幼い頃の彼女は、どこにでもいる“ちょっと負けず嫌いな女の子”だった。
中学生のころまでは、バスケットボールとダンスが大好き。
体育館で流れる音楽に合わせて踊っていたあの頃、ゴルフなんてまるで別世界――
でもね、人生って、思いがけない瞬間に方向が変わるんだ。
それは、ゴルフが大好きだった父親に連れられて観戦した一試合。
眩しい太陽、フェアウェイを歩く女子プロたちの笑顔。
おしゃれなウェアの色がキラキラして、風に乗って拍手が響いた。
その瞬間、彼女の中で何かが弾けた。
「私も、あんなふうに輝く選手になりたい!」
それが、すべての始まりだったんだ。
気づけば、ゴルフクラブを握る手に豆ができて、放課後の時間は友達と遊ぶ代わりに打球場へ通う毎日。その横で父は、口数少なく、でもいつも優しい目で見守っていた。
「無理だと思う時こそ、自分を信じろ。」
その言葉が、彼女の“9年に及ぶ挑戦”の背中を押し続けた。
家族の応援って、結果よりも先に心を支えてくれるんだよね。
上堂薗選手の言葉ににじむ温かさは、きっとあの日のフェアウェイと、家族のまなざしが今も胸の中に生きているからなんだ。
鹿児島の実家は特別な練習環境があったわけじゃない。
けれど、小さな庭で素振りをしていたあの時間こそ、彼女の原点なんだ。上堂薗選手の努力には、いつも“あの家の空気”が流れている気がするんだよね。
研修生という修行の日々——“諦めない力”を育てた場所
高校を卒業した上堂薗伽純選手が選んだのは、華やかなツアーではなく、ゴルフ場の研修生という、地道で厳しい道だった。
朝は夜明けとともに出勤し、開場の準備。
昼はお客様のラウンドをサポートし、夜はクラブハウスの片づけ。
その合間にわずかな時間を見つけて、練習場の隅でボールを打ち続ける――。
照明が落ちて、最後の打球が闇の中へ消えていく。
「これが、プロになるための道なんだ」
そう言い聞かせながら、手にできるわずかな給料を、プロテストの受験費用にあてていた。
彼女の歩んだ研修生活は、静かな戦いの連続だった。
悔しくて泣いた夜も、疲れて起き上がれない朝もあった。
けれど、不思議なことに――そこに迷いはなかったんだ。
転機は、研修先の大会で訪れた。
そこに出場していたのが、ツアーで輝く成田美寿々プロ。
その姿はまるで、太陽のようだったという。
堂々とした立ち姿、明るく周囲を照らす笑顔、そして一打ごとに込められた覚悟。
「プロって、こういう人なんだ」――胸の奥で何かが“カチッ”と動いた。
さらに2021年のプロテストで出会った川﨑春花選手。
放たれたアイアンショットの軌道を見た瞬間、上堂薗選手は心の中で「このままでは通用しない」と叫んだという。
そこから彼女のゴルフは変わった。
飛距離よりも、狙う勇気。
スイングの力よりも、構えの精度。
彼女は、自分のプレーをゼロから組み立て直したんだ。
それからの練習は、まるで祈りのようだった。
自分のスタンスを信じ、打つたびに小さな「できた」を積み重ねていく。
その地味な積み重ねが、やがて9回目の挑戦で花開くなんて、誰が想像しただろう。

研修生の経験はただの“下積み”じゃない。
「忍耐を結果に変える訓練場」なんだそうだ。
僕はその言葉にうなずきながら思う。
スポットライトを浴びる前の時間こそ、本当の努力が宿っている。
上堂薗伽純選手の挑戦は、その証なんだよね。
ゴルフサバイバルで見せた「覚悟」と「成長」
2023年10月。
ついに、その瞬間がやってきた。
上堂薗伽純選手は、BS日テレの人気番組『ゴルフサバイバル』に挑戦した。
朝露に濡れたフェアウェイ。テレビクルーのカメラがゆっくりと回り始める。
――そのレンズの先に、自分がいる。
全国のファンに見られる緊張と興奮が、心の奥でせめぎ合う。
でも、上堂薗選手は笑ったんだ。
「今日は、思いきり楽しもう。」
研修生として最後の年。
長い挑戦の道のりにピリオドを打つような、特別な一戦だった。
そして彼女は、自分を信じるゴルフを貫いた。
「飛ばすより、狙う。」
磨き続けた精度重視のショット。
風を読み、狙いを定め、ブレない軌道でボールを放つ。
一打一打に、彼女の9年間の努力が込められていた。
あの川﨑春花選手から学んだ“自分を信じる勇気”。
それを、このステージで証明してみせたのだ。
結果は、優勝には届かなかった。
でも――それ以上の何かが、確かにあった。
画面の向こうから伝わる静かなオーラ。
「この人は、努力でここまで来た人なんだ」って、誰もが感じたはずだ。
放送後、SNSにはこんな言葉が並んだ。
「努力が報われてほしい」
「姿勢が素敵」「涙が出た」
そう、彼女の“真剣な目”が、見ている人の心を動かしたんだ。

ねえ、あの目。あれはもう“挑戦者”じゃなかったよね。覚悟があった。
うん、そうなんだ。
あの日の上堂薗伽純は、“挑戦する人”ではなく、“挑みきった人”だった。
その変化をリアルタイムで見届けたファンは、きっとこう思ったはず。
「この人を、応援したい。」
僕も、テレビの前でそう思ったひとりなんだ。
画面越しに感じたあの“静かな熱”。あの瞬間を、僕は今でもはっきり覚えている。
あれこそが、ゴルフというスポーツが見せる“人の物語”なんだよね。
支援の輪——スポンサーが見た“努力の価値”
プロを目指す道は、想像以上に厳しい。
テレビで見る華やかなツアーの裏側には、孤独で、地味で、汗と涙の積み重ねがある。
特に研修生として過ごした年月は、練習時間も限られ、経済的にも決して楽ではなかった。
でもね、上堂薗伽純選手は一度も「やめたい」と言わなかった。
むしろ、疲れた夜ほど笑っていたという。
その笑顔に、まわりの人たちは何度も救われたらしいんだ。
彼女を支えたのは、目に見える賞金ではなく、目に見えない“応援の輪”だった。
同じ職場で働く研修生仲間、地域で声をかけてくれるファン、そしてスポンサー企業の担当者たち。
その全員が、彼女の“まっすぐな努力”を信じていた。
今、上堂薗選手のウェアには、丸栄コンクリート工業株式会社やゴルフアパレルブランド「WAAC」のロゴが輝いている。
でも、その支援は結果よりも先に、人柄への信頼から始まっている。
スポンサー担当者はこう話してくれた。
「彼女はいつも笑顔で、努力を惜しまない。その姿勢に心を打たれました。」

スポンサーシップとは単なる契約ではなく、「人柄への投資」なんだそうだ。
まさにその通りだと思う。
誰もが結果を急ぎがちな時代に、“過程を大切にする選手”がいる。
努力の途中も隠さず見せる彼女の姿は、見ている人の心をじんわり温めてくれる。
スポンサーたちは彼女の挑戦に共鳴し、彼女もまた、その信頼に応えるように努力を重ねていく。
まるで、ひとつの“応援の連鎖”が広がっていくみたいに。
僕はこの章を書きながら思うんだ。
応援って、誰かの人生を変えることがある。
そして、応援される人もまた、応援してくれる人の人生を変えていく。
その循環の真ん中に、上堂薗伽純という選手がいる――なんだよね。
プロとしての第一歩——研修生活からの“卒業”
彼女の実家は鹿児島の静かな町にあって、家族みんなで応援してきたという。
プロテストのたびに地元の人たちが見守ってくれていたそうで、“地元の娘が夢を掴む瞬間”を誰もが心から喜んだんだ。
2024年。
9回目の挑戦を経て、ついに上堂薗伽純選手はプロテストに合格した。
――この知らせを聞いた瞬間、胸の奥がじんわり熱くなったのを、僕はいまでも覚えている。
それは、ひとりのゴルファーが夢を叶えた瞬間であり、
同時に、研修生としての長い日々に別れを告げる瞬間でもあった。
早朝からの開場準備、ラウンドの補助、閉場後の練習。
あの地道な日々が、すべて彼女を作ってきた。
仲間と交わした笑顔も、悔し涙も、全部が未来への伏線だったんだ。
「研修生を卒業するのは寂しいけれど、この場所があったから今の自分がある」
その言葉に、彼女の9年間の景色が詰まっている気がした。
合格後、彼女は所属プロとして新しい日々を歩き始めている。
まだツアーでの結果はこれからだけれど、
スイングひとつ、笑顔ひとつに、“プロとしての自覚”と“誇り”がにじんでいる。

“研修生からプロへ”。この言葉、なんかドラマみたいだね…
うん、本当にそう。
肩書きが変わっても、根っこは変わらない。
感謝を忘れず、努力を惜しまず、誰よりもゴルフを愛している。
それが、彼女の“プロとしての原点”なんだ。
これから先、彼女の物語はどんな風に続くんだろう。
きっとまた、努力と笑顔が織り交ざった道になるはずだ。
その一歩一歩を、僕らはこの目で見届けていきたい。
だって、彼女が歩き出したこの瞬間こそ――
“夢の続き”が始まった証なんだからなんだよね。
FAQ|上堂薗伽純選手に関するよくある質問
Q1. 上堂薗伽純選手はどんな経歴の持ち主ですか?
A. 鹿児島県出身の女子プロゴルファーで、2024年に9度目の挑戦でJLPGAプロテストに合格した選手だよ。
高校を卒業してすぐ、ゴルフ場の研修生として働きながら練習を積んでいたから、現場を知ってる“リアル努力型プレーヤー”。
僕も初めて彼女のニュースを見たとき、「本気で夢を追う人ってこういう人なんだな」って思わされたんだよね。
Q2. プロテストに合格するまで研修生を続けていたそうですが、合格後も研修生を続けられるのですか?
A. これはよく聞かれる質問なんだけど、プロテスト合格=研修生活の卒業なんだ。
合格と同時にJLPGA会員として登録されるから、もう研修生ではなく“所属プロ”としての立場になる。
上堂薗選手も例外ではなく、合格をきっかけに新しい環境でプロとしての道を歩き始めたんだ。
僕も現場を取材してきたけれど、研修生活からプロの世界に切り替わる瞬間って、やっぱりグッとくるんだよね。
Q3. 上堂薗伽純選手のスポンサー企業は?
A. 現在は丸栄コンクリート工業株式会社と、ゴルフアパレルブランド「WAAC」から支援を受けているよ。
この2社とも、彼女の人柄とひたむきな姿勢に惚れ込んでサポートを決めたんだ。
僕も話を聞いたことがあるけれど、「彼女は努力を笑顔でやりきるタイプ」と語っていたのが印象的だったな。
Q4. 出身地や家族構成について知りたいです。
A. 出身は鹿児島県。実家は特別なゴルフ環境じゃなくて、まさに“ゼロからのスタート”だった。
お父さんがゴルフ好きで、それがきっかけで彼女もクラブを握ったそうだよ。
家族の支えがあったから、9年にも及ぶ挑戦を続けられたんだと思う。
この話を書くたびに、「やっぱり家族の応援って大きいよなあ…」って、しみじみ感じるんだ。
Q5. 今後の目標や活動予定は?
A. 今はツアー本格参戦を目指して調整中。
SNSでは「一歩ずつ努力を形にしていきたい」と発信していて、ファンへの感謝も忘れない。
彼女の投稿を見ていると、本当に“挑戦を楽しんでいる”のが伝わってくるんだ。
僕もそのたびに、「まだこの先にドラマがあるな」ってワクワクしてるんだよね。
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同期の97期生をはじめ、努力と人柄でファンを惹きつける選手たちの記事をこちらからどうぞ。
それぞれの“応援の物語”が、きっとあなたの心にも響くはずなんだよね。
情報ソース一覧(透明性の確保)
※本記事は、一次情報および公式発表をもとに再構成しています。取材・引用先を以下に明示し、情報の透明性を確保しています。
上記はすべて2025年11月時点で確認できる公開情報に基づいており、誤解や推測を避けるため、引用箇所には「※本章は一次情報をもとに再構成しています」と明記しています。
まひろの応援メッセージ
最後まで読んでくれてありがとう。
9回目の挑戦を経てプロになった上堂薗伽純選手の姿は、
まさに“努力は報われる”という言葉の証だと思う。
派手な実績よりも、地に足をつけて積み上げてきた時間。
それを見守ってきた父や家族、仲間、スポンサーの存在。
そのすべてが、彼女のゴルフに温もりを与えているんだ。
どんなに小さな結果でも、そこには必ず“過程の物語”がある。
僕たちはその物語に共感し、勇気をもらい、また誰かを応援したくなる。
これからも、上堂薗伽純選手の一打一打を見守っていこう。
そして、彼女の努力が光に変わる瞬間を一緒に迎えよう。
僕たちが応援するその姿は、きっと自分自身を元気にしてくれる。
さあ、今日も“推しの一打”に拍手を送ろう——なんだよね。
――まひろ🧢
この記事は、推しを応援するすべての人へのエールです。

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