中地萌が再びクラブを握った運命の出会い|「推し」プロテスト合格とスポンサー不在の理由

中学・高校時代の中地萌選手はバスケに夢中になり、小学校から始めたゴルフはやめてしまいます。しかし、大学に入学して再開したゴルフに夢中になった末に、プロになってしまった経歴の持ち主です。

ここまで聞くと、熱しやすく冷めやすい・直情的なタイプのように感じますよね。でもじつは、彼女は静かに燃えるタイプで、ゴルフ再開の裏側には運命的な出会いが隠されていたのです。

この記事では、ちょっと変わった経歴を持つ、静かに燃える新人プロ・中地萌選手の運命的な出会いをご紹介します

中地萌の運命と恩師|変わった経歴に「なぜ」がたくさん湧いてくる選手

中地萌選手の経歴を聞いて、こんな疑問が湧きませんでしたか?

・なぜ、彼女はゴルフを辞めたのだろう?
・なぜ、彼女はゴルフをまた始めたのだろう?
・ブランク期間があったのに、どうやってプロになったのだろう?

いろいろ調べてみましたが、彼女の経歴やインタビューからその答えは見つかりませんでした。しかし、彼女の恩師である水巻義典コーチのことを調べているうちに、少しずつ答えらしいものが見えてきました。

コラム 水巻義典コーチとは
青木功プロやジャンボ尾崎プロらと同じ時期に、日米両ツアーのシード権保持者として活躍し、ツアー7勝、シニアツアー3勝したプロ選手です。
青木功プロやジャンボ尾崎プロは「勝ちにいって勝てる」一握りの天才で、プロゴルフの世界は“天才だけが勝てる世界”
「根性と継続で」天才に挑んだ自分は、スコアにも、順位にも、賞金にもさほど興味はなく、ゴルフを「面白いと感じたことがあまりない」と語っています。

中地萌の運命と恩師|ゴルフから離れた少女:団体競技に魅せられて

中地萌選手がゴルフを一時期離れていたのは、実はバスケットボールに強い魅力を感じていたからです。彼女は、ゴルフの世界に長くはまっていたわけではなく、むしろチームスポーツの楽しさに夢中になった時期がありました。中学時代、バスケットボール部に所属していた彼女は、仲間と一緒に戦うことにやりがいを感じて、自然とゴルフから遠ざかっていったそうです。

「なぜ、彼女はゴルフを辞めたのだろう?」の答えは、彼女が団体競技の魅力に取り憑かれて、勝利をみんなで共有する感動が、個人競技にはない魅力だと感じたからのようです。

話は変わりますが、じつは、彼女の恩師・水巻コーチも、少年時代に彼女と同じように感じていたそうです。

野球やバスケットボールなど団体競技には、勝負や成績以外の、仲間とワイワイやることに対して楽しみを感じていたようです。逆に、個人競技のゴルフは、個人の成績が“いいか/悪いか”だけであり、そこには楽しさを感じられなかったようです。

中地萌(なかじ もえ)選手 プロフィール
生年月日:1998年12月5日
出身地:奈良県生駒市
身長:173cm
血液型:B型
出身校:同志社大学政策学部
ゴルフ歴:8歳から(中学・高校の6年間はバスケットボールに専念)
プロ転向:2024年(JLPGA97期生)
所属:鳴尾ゴルフ倶楽部
師弟関係:水巻善典
得意クラブ:ショートアイアン
ドライバー平均飛距離:約240ヤード
目標とするプロゴルファー:申ジエ選手
趣味:ライブ鑑賞(乃木坂46のファン)

中地萌の運命と恩師|再びゴルフの世界へ:同志社大学での再出発

 高校の指定校推薦で同志社大学に入学した中地萌選手は、体育会系の運動部に入部しようと考えていました。そんな彼女が選んだ運動部は、関西の強豪・同志社大学のゴルフ部でした。

しかし、ブランク期間が長かった彼女のスコアは決して良いわけではなく、100を超えることもあったと言います。

そんな中地選手ですが、最後には大学のゴルフ部で主将になり、チームのリーダーシップを取るようになっていました。さらに、団体戦ではチームを率いて優秀な成績を収めています。

ところで、「ブランク期間があった中地萌選手が、どうして主将になったのでしょう?」

高校時代のバスケ部で習得したチームスポーツに必要な協調性やリーダーシップなどが、主将として認められる決め手だったのかも知れません。

しかし、強豪・ゴルフ部に素人同然の状態で入部した中地選手は、最初は部活の仲間たちに対して技術的な差を痛感していたはずです。

中地選手は仲間たちとの差を「根性と継続で」追いつき、さらに、「根性と継続で」追い越したのでしょう。

「根性と継続で」天才に挑んだ恩師・水巻プロの姿と重なりませんか。

中地萌の運命と恩師|出会いがすべてを変えた:水巻コーチという恩師

ところで、中地萌選手は強豪・同志社大学のゴルフ部で、なぜゴルフを再開したのでしょうか

この答えとなる情報はありませんでした。しかし、大学でゴルフ部に入ってゴルフを再開していなければ、恩師・水巻コーチと出会うことはなかったはずです。

強いて答えるなら、水巻プロとの「運命の出会い」をするためだったのではないでしょうか。

中地選手がプロを目指すきっかけも、恩師・水巻コーチからの「プロになれる」という言葉でした。その一言が彼女のモチベーションとなり、プロを目指す決意をしました。

もし水巻コーチが中地選手をプロの道に導いていなかったら、今の彼女の姿はなかったかもしれません。

水巻コーチのアドバイスを真摯に受け入れ、技術を磨き続けることで、彼女は急速に成長し、ついにプロゴルファーとしての道を歩むことができました。

じっさいに、中地選手はプロテスト合格後のインタビューで、水巻コーチに出会っていなければプロになっていなかった、「運命を変えてくれた恩人」だと語っています。

中地萌プロテスト合格の裏側|恩師のサポート 心と技を積み重ね

プロの世界を目指す上で、技術はもちろん、心の強さも欠かせない要素ですよね。

中地萌選手のその両方をじっくり育ててくれたのも、鳴尾ゴルフ倶楽部で彼女を支えてくれた恩師・水巻義典コーチです。

中地選手は、実はプロテストに5回目の挑戦でようやく合格を果たしています。

これまでのテストでは、「落ちたらどうしよう。。。」と言う不安が先に立ち、自分のプレーにブレーキがかかっていたそうです。特にショートパットへの苦手意識は深く、自信を持てずにいたといいます。

そんな彼女に対して、水巻コーチは「クロスハンドグリップ(逆手)」という新しいスタイルを提案しました。

最初は半信半疑だったものの、このグリップが中地選手にぴったりフィットします。パターへの不安が薄れて、ショートゲーム全体の精度がアップし、ベストスコアも更新するなど、着実に成果が出てきたのです。

そして迎えた5回目のプロテスト。「もうやるしかない」という気持ちで臨んだ中地選手は、これまでにない心の落ち着きと自信を持って試合に挑み、ついに念願の合格をつかみ取りました。

このプロセスを振り返ってみても、水巻コーチとの出会いが、彼女のゴルフ人生における大きな分岐点だったことは間違いありません。

指導の中には「技術」だけでなく、「心の整え方」も含まれていたのかもしれませんね

ドラーバーの飛距離が240ヤードで、ショートアイアンが得意な中地萌選手のプレースタイルは、”伸びしろタイプ”です。

中地萌が水巻イズムの継承者? ―鳴尾ゴルフ倶楽部に所属するとは?

中地萌選手が所属しているのは、「鳴尾ゴルフ倶楽部」です。関西のゴルファーなら「おぉ、あそこか」とうなずくような、歴史ある名門コースです。

そんな場所に“研修生”として入れるのは、正直ちょっと特別なこと。鳴尾GCは、派手な宣伝もなく、プロ養成のためのクラブでもないからです。

実は、ここに長年籍を置いているプロは、水巻善典プロただ一人だけで、彼の存在自体がクラブの看板でもあります。

そこに中地選手が所属したということは、技術だけじゃない“何か”を買われたからじゃないかなって感じます。

水巻プロは、今持っている技術的な才能ではなく「どれだけ地道に努力できるか」を大事にします。中地選手を指導してきた過程で、彼女の中に自分と通じるものを感じたのかもしれませんね。

ゴルフを一度離れた過去がある彼女ですが、それをマイナスとせず、「戻ってきた後の姿」に目を向けた水巻プロの視点が素敵です。

「鳴尾GCの研修生」という肩書きの奥には、“水巻イズム”の継承者としての期待がある。そう思うと、彼女のこれからの活躍がますます楽しみになりますね。

乃木坂ファンである中地萌を、今度は私たちが“推す”番

中地萌選手がインタビューで語ったのが、「私は乃木坂46が好き。でも、ライブもこっそり行くような“ひっそり応援派”なんです」という一言。そこに、彼女の人柄があらわれている気がします。

SNSを見ても、投稿数は少なめ。自己主張よりも、“自分のペースで頑張る姿を見てもらえたらそれで十分”というような、控えめな姿勢を感じます。

年配の水巻コーチがアイドルを「推す」ことはないでしょうが、控えめな姿勢はどこか似ているように感じます。

そんな姿を「応援したくなる」というファンも多いはず。中地選手自身が“推し活”の楽しさを知っているからこそ、今度は私たちが「推される存在としての彼女」を見守っていく番なのかもしれません。

大声でアピールするタイプじゃないけれど、逆にそこが魅力というか、応援する喜びが大きいタイプですよね。

中地選手のように、努力の過程を大切にして、控えにまっすぐ進んでいく姿に、共感や憧れを感じる人がきっとたくさんいるはずです。

スポンサー不在も恩師似か?― 中地萌は背伸びせず、ありのままのスタート

プロテストに合格した選手なら、すぐにスポンサーがついてもおかしくない。

でも中地萌選手の場合、まだ目立ったスポンサー契約の情報が出てきていません。これは「実力がないから」とか、そういう話では決してないはずです。

彼女の性格や発信スタイルを見ていると、ひとつの仮説が浮かびます。それは、「実力以上の評価を望まない」という、控えめでまじめな姿勢です。

恩師の水巻善典プロは、「スコアにも、順位にも、賞金にもさほど興味はない」と語っていました。

中地選手が恩師・水巻プロから学んでいるのが、ただの技術だけではなく、ゴルフとどう向き合うかという姿勢だったとしたら、スポンサー契約を急がず、「まずは足場をしっかり築こう」というのはごく自然な考え方なのでしょう。

これからツアーに出て結果がついてくれば、必ず声はかかるでしょうし、「いまはじっと自分のタイミングを待つとき」なのかもしれませんね。

中地萌選手の応援は、成長を見守る“親心”で

中地萌選手は、いわゆる“完成されたスター”ではありません。でもだからこそ、成長していく姿を楽しめる選手だと思うんです。

これから彼女は「勝ちにいって勝てる」天才に、「根性と継続で」戦いを挑み始めます。

努力を積み重ねて、少しずつ階段を登っていく、そんな彼女を応援するのは、「楽しさ」というより「温かさ」に近いものがあるかもしれません。

ゴルフをいったんやめて、大学でまた始めて、主将を務めて、そしてプロへ。このストーリーを知ると、自然と応援したくなりますよね。

「自分の娘だったら…」「あのときの自分を重ねるなぁ」なんて感じる方も多いんじゃないでしょうか。

そんな彼女に応援を届けてほしいなと思います。例えば、SNSをフォローする、ツアーの成績をチェックする、静かに拍手を送る。それだけでも、彼女にとっては大きな力になるはずです。

きっと彼女は、わたし達のそうした静かなエールを受け取れる人だと思います。

だからこそ、これからも「育てるように応援する」楽しさを、ぜひ感じてほしいです。

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